『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』

 元々は、わたしは“理科系”出身人間。
 ですが、学校を卒業してからン十年、『数学』らしい『数学』に殆どふれる機会もなく、増してや『新しい分野(わたしにとって)』の『数学』なんて、

「もう縁もゆかりも無い」

と思っていました。

「もうこんなオジサンになって、『新しい数学』なんて、頭にも入らないよなぁ~」

とも。

まして、そんな『数学』から“刺激”を受けたり、“興奮”を覚えることなんて、在り得ないと思って(殆ど“確信”に近く)おりました。

 そんな時、何気なく手に取ったのが

『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』(高橋昌一郎著 講談社現代新書)

「不完全性定理? 不確定性原理の事じゃあないのか!?」

と言うのが、正直最初の感想。

“不確定性原理”は知っていましたよ。一応“物理”は得意でしたし、まあ、非常に有名な原理ですから。

“不確定性原理”は、量子力学で出てくる原理ですけど、簡単に言ってしまうと、

非常に小さな粒子を考えた時、

『この粒子の位置を正確に測ろうとするほど対象の運動量が正確に測れなくなり、運動量を正確に測ろうとすれば逆に位置があいまいになってしまい、両者の値を同時に完全に正確に測る事は絶対に出来ない。』(wiki 参)

と言う“原理”。なぜならば、

『位置をより正確に観測する為にはより正確に「見る」必要があるが、極微の世界でより正確に見る為には、波長の短い光が必要であり、波長の短い光はエネルギーが大きいので観測対象へ与える影響が大きくなる為、観測対象の運動量へ影響を与えてしまうからである。』(同上 参)

概ね、そういう理解で良いと思います。この原理には色々と議論があって、わたしの尊敬する物理学者のひとりである、あのA.アインシュタイン博士の名文句でも知られております。

『不確定性原理は1927年にハイゼンベルクによって提唱された。量子力学の基礎原理の一つとされ、その発展に大いに寄与した。 ただし、量子力学の基礎が整備された現在は、他のより基礎的な原理から導かれる「定理」となっている(「意見」や「仮説」ではない)。
粒子の運動量と位置を同時に正確には測ることができないという事実に対し、それは元々決まっていないからだと考えるのが、ボーアなどが提唱したコペンハーゲン解釈であるが、アルベルト・アインシュタインは決まってはいるが人間にはわからないだけだと考えた。この考え方は「隠れた変数理論」と呼ばれている。なお、1926年12月にアインシュタインからマックス・ボルンに送られた手紙の中で、彼は反論に神はサイコロを振らない(独: Der Alte würfelt nicht. 直訳:神は賽を投げない)という言葉を用いた。
この他にも不確定性原理の解釈には多数の解釈がある。これを観測問題という。どの解釈が正しいのかは現在はっきりしていない。ただし、ベルの定理により現在アインシュタインの考えを支持する人はごく僅かである。
不確定性原理が顕在化する現象の例としては、原子(格子)の零点振動(このためヘリウムは、常圧下では絶対零度まで冷却しても固化しない)、その他量子的なゆらぎ(例:遍歴電子系におけるスピン揺らぎ)などが挙げられる。』(同上 参)

この、

『神はサイコロを振らない』

と言うのが、有名なアインシュタイン博士の名文句です。上の記述にもありますが、現在では、残念ながら(?)、アインシュタイン博士の考えは否定的になっております。

 で、奇しくも、このアインシュタイン博士が世話もし、一目置いていたのがゲーデルさんです。丁度、親子程も年齢差があるのですが、アインシュタイン博士の“一般相対性理論”の基本方程式から導き出される重力方程式(互いに独立した二十個のテンソル関数に対する“非線形変微分方程式”です)の一つの『解』を求めたのがゲーデルさん(“非線形微分方程式”はわたしが大学で研究していた方程式で、その『解』を求めるのは非常に困難。今はコンピューターがありますから、力ずくでシュミレートできますけどね。当時は文字通り“天才”の領域だったでしょうね)。それが所謂『ゲーデル解』と呼ばれるものです。この“重力方程式”の『解』は一種類では無く。その後も、様々な『解』が見つかっております。日本人では、佐藤・富松解が有名です。これらの『解』を読み解くと、様々な“宇宙の姿”が解ってきます。例えば、『ゲーデル解』では『宇宙は、空間的には一様だが、等方性は保たず、膨張もなく、回転しいる』という事になります。

 アインシュタイン博士がゲーデルに一目置いていたというのは、晩年の博士が、
「私が研究所(プリンストン高等研究所)に行くのは、ゲーデルと散歩する恩恵に浴するためだ」と述べたと言う逸話からでも解ります。

『本物は本物を見抜く』

の典型的なパターンですかね。

 ゲーデルの『不完全性定理』を本当に数学的に理解しようとすると、“数学基礎論””(数学自体を対象とする学問)の知識が必要になります。で、実物は、

『ゲーデル 不完全性定理』(林 晋/八杉満利子訳・解説 岩波文庫)

って言う著書が出てますから、そちらを読んでいただければと思いますけど、これは、本格的に“数学基礎論を学習しなければ理解出来ないところです。正直、ここまでくると“数学科”でも出ていないと解らないと思います。当然、わたしもそこまでは理解出来ません。

 ただ、その概略は高橋氏の著書で理解が出来ます(そのように書かれた本です)。

 この著書では、アナロジーやパズルを用いて理解をさせてくれます。例えば、

ナイトとネイブのパズル――問題 ある島に、二種類の住人が居住している。ナイト(騎士)は正直であり、彼の発言はすべて真である。ネイブ(ならず者)は嘘つきであり、彼の発言はすべて嘘である。島のすべての住人は、ナイトかネイブのどちらかである。
 島の住人Xと出合ったとする。もしXが「日曜日の翌日は月曜日である」と言えば、彼はナイトであり、「日曜日の翌日は火曜日である」と言えば、彼はネイブである。「2は偶数である」と言えばナイトであり、「2は奇数である」と言えばネイブである。要するに、Xが真実を語ればナイトであり、嘘をつけばネイブである。
 ただし、Xの一言の発言だけから正体を見破ることができるとは限らない。例えば、Xが「私はナイトである」と言ったとする。Xは、自分がナイトだと正直に言うナイトかもしれないが、自分はナイトだと嘘を言うネイブかもしれない。したがって、この発言だけからXの正体を決定することはできない。
 それでは、問題である。ナイトとネイブの島の住人Xが「私はネイブである」と言ったとしよう。Xの正体は何者だろうか。』

この問題は、少し考えればすぐに解りますよね。

ナイトとネイブのパズル――解答
 もしXがナイトであれば、自分をネイブだと偽ることはないから、Xはナイトではない。一方、もしXがネイブであれば、自分はネイブだと正直に言うこともないから、Xはネイブでもない。したがって、ナイトとネイブの島の住人が「私はネイブである」と言うことは不可能である。』

そして、ここで重要な事は、

『①ナイトの発言はすべて真である ②ネイブの発言はすべて偽である ③すべての住人がそのどちらかである、という三つの前提に基づいて構成された島のシステムで、住人が「私はネイブである」と発言すること自体が、システムに対する矛盾となる点である。つまり、これが、システムから「飛び出た」発言なのである。
 島の内部では、いかなる真実もナイトが発言できるし、いかなる嘘もネイブが発言できる。それでは、人間社会と同じように、何でも発言できるはずだと思われるかもしれないが、実際には、そうではない。ナイトとネイブの島には、「私はネイブである」という発言は、永遠に存在しないのである』

 なんか、キツネにつままれたような問題ですが、ゲーデルの凄さは、これらの『問題』を“数学的”に証明してしまったことです。それは、わたしの理解出来る範囲では、集合論的に解かれたのだと理解しています。例えば、一次の方程式があったとして、それらは、その一次の直線上の点の集合、数え切れない位の点の集合である訳です。そんな風に、数学的に置き換えられてこれらの『問題』を、数学論理的に解いたという訳です(間違っていたらごめんなさいです)。

 ゲーデルの“不完全性定理”は『プリンキピア・マテマティカおよび関連した体系の形式的に決定不能な命題について』という小論によって発表されました。彼によれば、

数学を形式化しようとすると、それがいかなる形式化であっても、日常言語では理解し表現できるが、形式体系内では表現できない命題が生じる。したがって、ブロウエルが言うように、数学は汲み尽くせないのであって、常に新たに『直感の源泉』から汲み上げる必要がある。つまり、全数学のための普遍的な形式化は不可能であり、全数学のための決定手続きもない』(下線は管理者)

 つまり、“論理の塊”であり『完全性』を備えているはずの『数学』は、実はどのような体系下においても“不完全”なほころびがある“代物”だと証明してしまったのです。

 これは、西欧論理の世界に生きていない私たち、東洋の一国である(幾ら“洋才”を唱えていようと)日本人が受ける『衝撃』以上の『衝撃』を、欧米人(特にキリスト教圏のインテリ層)に与えただろうと想像されます。と言うのは、キリスト教と論理は切っても切れない関係にあるからです(小室直樹氏の著作等を参照して下さい)。
 
 最初は、『プリンキピア・マテマティカ…』が、何を意味するのかさえも、殆ど理解されなかったようです。多くの知性がその意味さえ理解出来なかった。その中で、フォン・ノイマンだけがその重要性に気付いたようです。

 『数学は完全なものではない』『論理は必ずほころびがある』これらは、この世界の完全性=神が創りたもうた世界の完全性=神の完全性 を否定するものとさえ解釈されます。

 実際、この『プリンキピア・マテマティカ…』が発表された1931年に「神は死んだ」と言う学者さんもいらっしゃるようです。

 実際のところ、ゲーデルの『不完全性定理』が“何を証明”し“何を証明していない”のか、わたしの能力ではその確かな所は理解出来ません。ただ、“不確定性原理”にせよ、“不完全性定理”にせよ、

「この世界は、完全には確定されたものではない。だからこそ、そこに“自由意志”が働くスペースがある」

ような気がします。

 わたしの理解できるところはソコまでです。しかし、今までうっすらと名称しか知らなかった『不完全性定理』しかも長年ご無沙汰の“数学”に少しでも触れた事で、久々に“ワクワク感”を得れた事は確かです。


※ 間違って理解しているかも知れませんが、特に“数学科”の方、ド素人にも解るように説明が出来る方は、御教授の程、よろしくお願い致します。
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現代の閉塞感のある世界がもう少しだけ住みやすくなれば良いなぁ、などと考えております。今の状況の延長線を自分たちの子供たちや孫たちへバトンを渡すのは余りにも無責任だと思っています。大学は工学系卒。国立K大学の経済学研究科大学院修士。博士課程考慮中…。この国の未来への良きシナリオを描きたいと思いトボトボと歩いてるって感じです。ただ最近は、当方の怠慢のせいでtwitterまとめ、或いは「忘備録」化してます…。しかし、同志さんたち大歓迎です。

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