日本は「押し切られぐせ」のDNAから脱皮すべきだと思う

ちょっと間が空いてしまいました。

経済学部を経ずに大学院へ入った『報い』とでも言いますか…、いやそもそも「大学院レベルの経済学は難しすぎる」のだ…と(前向きに?)考える事にしましょう。

「統計学」の成績が良かったのに気を良くし(つつ、迷いながら)、更に『計量経済学』をとったのですけど、これがまた「物凄く難しい」。

基本的には『最小二乗法』が出来れば良い…とある本には書いてありましたので、

「まぁ、その位だったら」

なんて思ってたら大きな間違いでした。世の中には『最小二乗法』が適用できない「統計量」があるのでございました(笑)

「統計学」で、何となく軽く流していた「独立」とか「一致制」「無相関」(後、「共分散」は大事だなぁ)…等の基本的な概念が重要になってきます(これで、『最小二乗法』が適用出来るか出来ないかを判断して、「出来ない場合」は違った「手法」(これはこれからの講義にて教えて貰います)を使う。

後、学部では大きく分けると「マクロ経済学」と「ミクロ経済学」がありましたが、大学院レベルでは厳密には「マクロ経済学」は存在しません。「ミクロ経済学」になってしまいます…と言うのがオーバーな表現だとすると、「ミクロ経済学的基礎に基づいたマクロ経済学」しか存在しません(特に、「ルーカス批判」からRBCモデルが出来た辺りから、そうなっているのだと、自分は思って居ます。更に、今ではRBCモデルをより発展させたDSGEモデルが「グローバル・スタンダード」になっている…と言う「状況」でしょう。日本では、最近になって若手のバリバリの経済学者さんたちが頑張って、「グローバル・スタンダード」にキャッチ・アップしている…と言うのが「現状」のようです)。

ただ、今でも、「経済学者」さんたちは、皆さん考え方に非常に「多様性」がありますから、「論争」は続くだろうと思います…どこまでも。


さて、日米関係ですけど、「経済史」をひも解くと、嘉永6年(1853年)の「ペリー来航」から本格的な幕を開けます。ペリーは「来年の再来航」を約して帰国します。翌、安政元年(1854年)ペリー再来航。同年3月、「日米和親条約」が締結され、同年5月から「交渉」が開始されます。

ここで「問題」になったのが「第5条 貨幣条項」。

日本側は「1ドル=銀16匁」を主張しますが、米国側は「同種同量」を主張。言葉面だけを見ると、米国側の主張の方が「公平」な様に聞こえますが、実は「反対」です。

単純に言ってしまうと、これが「原因」で、日本から大量の「金の流出」が生じた。米国人は当然として、日本人商人もそれで儲けた。

「からくり」は、洋銀100ドルを一分銀300枚と交換→それを金300分と交換→これは小判75両に相当する。小判は重さ11.3g、品位57%で、金6.4gだから、75両は6.4×75=480g。ところで、外国での金銀悲価は1:15だったので、洋銀100ドルは銀2335.6g=金155.7g。だから、このルートで取引をすれば、金約320gが儲かる。つまり、3倍ゲームになる。まさしく「濡れ手で粟」の大儲け。

ところで、この頃の財務省+日銀のような存在であった「勘定所」は非常に優秀な人材が集まっていた。だから、これは経済学的に予測されていた(この頃は「身分」に有る程度関係無く、優秀な人材が採用されていた)。だから、「勘定所」は「ドルに含まれる銀と、日本の銀貨に含まれる純銀量を同等になるように、1ドル=1分を主張した」のではあった。

更に言えば、当時の「勘定所」は、対策として、①銀を3倍にする(これは銀貨の発行量が低下し、物価が下がる事も理解していた)②金を1/3にする(これは金貨の発行量が上昇し、物価が上がる事が解っていた)。

ところで、この頃、日本は「インフレに悩んでいた」。だから、①の手法が良い事も勿論、解ってた。で、安政5年(1858年)に日米修好通商条約が結ばれた後、安政6年(1859年)5月に、幕府は「安政二朱銀」を鋳造する。そして同年6月に「開港」。

そこで、「安政二朱銀」は「外国の抗議」によって「回収」させられてしまう。

もしこの時、幕府が「自国の主張を通す事が出来ていたら」、莫大な金(国富)の海外への流出は防ぐ事ができていた。(まぁ、圧倒的な「軍事力」を盾に…刀VSショットガン?…押し切れれるのは明らかかもですけどね)

もう、これで「決まり」。政府は次善の策として②の政策を行うが、物価はまさしく「狂乱物価」となる。

安政6年(1959年)~慶応3年(1867年)の8年間で、

米・大豆=8倍、綿=7倍、油=6倍、茶・木綿=5倍になった。

これで、農村部では「百姓一揆」、都市部では「打ちこわし」が頻発、幕府の威信は低下することになる。


実はわたしは「歴史が苦手」(だから理科系に進学した…と言う部分も否めない…でも、後年、就職してから「歴史」に興味が出て来て、司馬遼太郎氏の著書などの「歴史モノ」を読み漁った)。まぁ、それはさておいて、なぜ今回「この開国のストーリー」を紹介したのかと言えば、

米国は(どこの「国」でもですが…)、この頃から「外圧」によって(「濡れ手で粟の儲けがあるのだから当然」と言ってしまえばそれまでですけど…)、「無理を押しきって」外国の資産を収奪していた(まぁ、南米インディオのように「黄金を略奪」された上に「虐殺」されなかっただけ、マシかも知れないけど)。

それに、この頃、何故、欧米諸国が海洋に出たのかと言えば当時重要な「資源」であった「鯨油」を取るためではなかったか。この頃欧米諸国は「食べない」クジラを捕獲しまくった(済みません、ここでも本当は「正確なデータ」の提示が必要だとは思うのですが、余裕がありません…ご存じの方がいらっしゃったら御教授いただければ幸いです)。現在では「捕鯨反対!!」の欧米人は当時、鯨を求めて海洋を駆け回って、クジラを殺して「油」を取っていたのだ。

確かに、現在は「遠い過去の物語」と言われるかも知れないけれども、「人間はそれ程変わっていない」。

「この道は、いつか来た道」

なのである。そしてその「DNAは生きている」と考えた方が良いと思う。日本はその当時から「外圧に弱い」し、「押し切られぐせ」があるのかも知れない。そして欧米諸国は…。

ここらで(TPPを切欠に)、日本は「押し切られぐせ」から脱皮して欲しいものだ…と思う。
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現代の閉塞感のある世界がもう少しだけ住みやすくなれば良いなぁ、などと考えております。今の状況の延長線を自分たちの子供たちや孫たちへバトンを渡すのは余りにも無責任だと思っています。大学は工学系卒。国立K大学の経済学研究科大学院修士。博士課程考慮中…。この国の未来への良きシナリオを描きたいと思いトボトボと歩いてるって感じです。ただ最近は、当方の怠慢のせいでtwitterまとめ、或いは「忘備録」化してます…。しかし、同志さんたち大歓迎です。

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