国家についての小論考 Part2 その2:歴史的流れと現在世界が進んでいる方向について

現在の日本は、本当に『幕末維新期』の日本に似ているように感じます。
ただ、あの頃の日本は「上に昇ろう」としていた。でも、今の日本は残念ながら「下に下ろう」としている。
維新期には薩長連合のバックに英国が、幕府側にフランスやロシアが付いていました。そして『フリーメーソン』の暗躍。薩長連合を成し遂げた維新期の英雄で人気のある坂本龍馬はグラバーの庇護を受けていました。そしてそのグラバーはメーソン。龍馬は薩長同盟を成立させるために、西郷隆盛と桂小五郎のために後日、武器売買の英語の契約保証書に印を押していますが、なんとその額二万ドル(今の金額にして20億円)。この金額さえ龍馬が動かしたトータル金額の一部でしかありません。そもそも『なぜ幾ら才気が有ろうと、一介の下士脱藩者にそれ程の“お金”が動かせたのでしょうか。グラバーが『ある巨大権力』の意向(資金支援も)を受けていたとすれば、その謎は解けるでしょう。ちなみにグラバーは英国ジャーディン・マセソン商会(清国にアヘンを売って財を築いた巨大商社)の日本代理人。そしてジャーディン・マセソン商会は東インド会社を引き継いだ『国策会社』、つまりは英国政府の下位機関。そう考えると『明治維新』は有る意味、欧米列強の代理戦争でもあったように思います。日本を誰が実効支配するのかを決める代理戦争。結局は薩長連合が勝利したと言う事は、日本はこの時点から英国の傀儡政権だったと言えるのではないでしょうか。英国は歴史的に『一極支配嗜好』。しかし、そんな英国でも『国際資本家』は『多極支配嗜好』。アメリカは独立して英国からの支配を逃れたかに見えて、実は今に至るまで英国の『影からの支配』を受け続けています。マスコミ報道を観ていると、英国がアメリカに追従しているように見えてしまいますが、事実を詳細に見て行けば、実際は逆であることが解ると思います。ただ、事がそれ程単純でないので見えにくいのは、両国内も完全に統一されていないからだとかんがえられます。両国とも国内で『一極支配派』対『多極支配派』の暗闘があるのでしょう。英国は『一極支配派』が優位で、アメリカはその時代その時代で英国に揺すぶられ、政権は『多極支配派』が優位に立ったり『一極支配派』が優位に立ったりしている。現在は『一極支配派』優位から『多極支配派』へと力が移りつつあるのだと思われます(本当は、もっと複雑なのでしょうけど、単純化してしまえばと言う事です)。

『覇権』は産業革命を起こした英国がパクス・ブリタニカを形成していましたが、第一次世界大戦等を経て英国は財政が破綻状態に近くなり、国力が低下。その座を米国へ譲った(一説には「押しつけた」。それ程、『覇権』は権力の重さもさることながら、維持するのは非常に『厳しい』のでしょう)。と言っても本当に譲った訳ではなく、情報操作によって、英国の意志通り覇権を使うように上手くコントロールしてきました。その方法はズバリ『諜報』。MI6等の英国諜報機関は、モサド(世界一優秀とされるイスラエルの諜報機関)やCIAなどに影響を持ち(『指導』もしたと言われています)、その『原型』となった諜報機関と言われています。

今まさしく、歴史は動こうとしています。
それは『9.11』後、多くの“失政”をして来たため米国の国力が低下し、G7時代からG20時代へ。つまり国際社会は『多極化』へと向かっているからです。米国は『世界覇権』を失いつつあります。しかし、今なお続いているのが『一極支配嗜好』派(英・イスラエル・米軍連合)対『多極嗜好』派(米国の国際資本家・中国を始めとする新興国家群など)。そして、それら多くの“失政”は故意になされたとも言われています。アメリカは『自作自演の国内情報操作』や『諜報テクニック』が歴史的に名人級ですから。
つまり、今起こっている『米国の国力低下』は米国の『本当の権力者』が意図的に『絵』を描き実行している。
その『対立軸』の中で日本は翻弄されています。日本の中でも『一極主義派』と(こちらはあまり意識的でないような気がしますが)『多極主義派』との摩擦が起こっている。
役人(主に国家官僚)は、米国追従と言う名の『一極支配嗜好』派寄り。しかし、一部の(国際的な潮流に気付いた)政治家、地方首長、言論人、資本家(日本政府への『お扶持』に頼らず、実力で世界に出て行こうと言う資本家)などは『多極嗜好』(もちろん、これまた単純化した言い方ですが………)。

日本では官僚の力があまりにも強力で、その資金(税金)、許認可権、そして残念ながら政治力(日本の政治家は官僚が協力してくれなければ、ほとんど何も出来ない)で、この国を実効支配しています。さらに、官僚は、マスコミを支配し(記者クラブ制度と言う『大本営発表』機関の維持)、情報鎖国とも言うべき状況を作り出し、国民を情報操作しています。
このどちら側が真に『日本の国益』を代表しているのかは、恐らく議論が別れるだろうと思います。でも日本の場合は『プレーヤー』たちには、特に『一極支配派』のプレーヤーたちには『国益』という、国家の根幹に関わる『意識』が欠如しているとしか思えません。彼らにあるのは『一極支配』が続けば、『既得権益』が守られる………という、『利己的』な意識しか感じられないのが残念です。
まだ、日本の『国益』のためには『一極支配』が望ましいという、明確な論理と意志があるのであれば、それはまた考慮に値する一つの『日本の生き残り方』として考慮の対象にもなると思うのですが。

ただ、時代は確実に『多極化』の方向へ不可逆的に向かっているし、日本の『国力維持』のためには、『国際発信力』は不可欠だが、記者クラブと言う官僚お抱え報道機関のために、海外のプレスは『記者会見』から排除され続け、『報道の自由のない』日本から軒並み撤退、もしくは縮小と言うのが現実です。もはや国際的な報道機関やジャーナリストはマトモに日本を相手にしていないと言うのも現実。本来、日本は宿命的に(資源・食料を輸入に頼らなければ生きていけない(もちろん、国民が生活レベルを大幅に落としても良い。国際的な地位や発言力も要らない=そうなると、日本の安全保障も極めて弱くなりますけど、それも受け入れる、と言うのなら話は違ってくるでしょう)というのが現実です。現在の人口で『鎖国』政策で生きていくのは『非常に困難』と言わざるを得ないでしょう。国際社会で、生きていくには『外交力』『国際発信力』は非常に重要である事は言うまでもないことですが、このようなプレスの在り方は『国益』を損なっていると思います。

現政権はバラバラ状態ですが、それでもこの『官僚報道機関』に風穴を開けたのが、岡田外務大臣(現幹事長)と、亀井静香金融大臣。これは国際的にも非常に評価されています。しかし、この開放の動きはそれ以来止まったままです。『情報公開』は野党の時代から民主党の一貫したマニフェストでした。特に、小沢さんは昔から『情報公開』に拘り実行してきました(最近は“説明責任から逃れている感”があるような報道が目立ち、国民は頭からソレを信じて居ますが、実際の所は『藪の中』でしょう)。またちなみに自民党は歴史的に米国『一極支配』支持派。今後その流れが変わるのかは要注目です。

この構造が、幕末維新に似ていると思うのです。
『尊王攘夷』、少なくとも『攘夷』は元々幕府の方針でしたが、当時の幕府は自国と欧米諸国の力(軍事力・技術力)のあまりの隔たりに『開国』を余儀なくされました。それは時代の流れだったのでしょう。しかし、幕末の志士たちはあくまで『尊王攘夷』を主張。しかし、あれほどの純粋な『尊王攘夷』思想の持ち主であった吉田松陰でさえ、現実を見て認識を新たにし、欧米諸国の国力に追いつく事が大事(欧米から学ぶ=実質開放)と、米国へと密航しようとまでしました(この頃、海外密航は死罪。つまり松陰は死を賭して世界を観ようとしたのです)。
ここで捻じれ現象が起こっている。『尊王攘夷』派は『尊王開国』派となったのです。明治新政府はもちろん、その後の歴史を見ても明らかなように『開国』によって国力を付けて行きました。

この伝で行けば、日本はその意思のいかんに拘わらず『多極主義』に向かわざるを得ないでしょう。そしてその結果、官僚支配は終焉を迎える(或いは官僚が『多極嗜好』に掌をかえしたように転向?)可能性が高いでしょう。ひょっとすると『西南戦争』のような、官僚による「最終戦争」が有るかも知れませんが………。まあ、それは『流血の戦い』では無く『抵抗的な頭脳戦』になるのでしょうね。

最初に「下に下ろう」としていると言ったのは、このままであれば、同時に日本は国力が低下し、『東洋の中の中流国』にもなりかねないと言う危惧があると言う意味です。
もちろん、「東洋の中の中流国」になったとしても、それはそれで良いのかも知れない。しかし、そうなると、国際的な『発言力』や『影響力』は低下し、『国際貢献』どころの話ではなくなる事は明らかです。そういう『未来』を受け入れるのであれば、多くの国民がそれを『了』とするのであればそれはそれでいいのかも知れません。一応『民主主義』の国ですから。

でも、いずれを『選択』するにせよ、欠くことのできない事は『国家戦略』(どのような『国づくりをするのか』、予測される国際社会=多極国際社会の中で『どのように生き残りを図るのか』『どのように安全保障を担保するのか』等々)。これは避けて通れない問題だと思います。

ところで、最近、アメリカが変なようです。
この間、アメリカ在住のジャーナリスト、堤未果さんの『アメリカから〈自由〉が消える』(堤未果著 扶桑社新書)と言う著書を読んで、慄然としました。

アメリカ、あの自由の国アメリカは、『9.11』前と後で、全く別の国。民主主義、自由主義の国から、全体主義の国へと様変わりしてしまったようです。
アメリカは『9.11』以降、『テロとの戦い』という終わりの無い『戦時非常体制』へと移行し、『国民を守る』と言う大義名分の元、『愛国者法』と言う極めて違憲(アメリカ憲法)性の高い法律をなし崩し的に成立させました。成立したのはブッシュJr.の政権下でした。その時、野党民主党でハワイ州のバラク・オバマ上院議員はその時、『愛国者法』に批判的でした。そして『チェンジ』をキャッチ・コピーに米国初の黒人(系?)大統領になった彼は、就任後、宗旨替えし、益々その『政策』を進めています。
今のアメリカはまるで『ナチス政権下』のドイツ状態のようです。
『9.11』以前のアメリカは(一応)自由な世界でしたが、現状国民は常に監視状態です。『愛国者法』によって、国民は常に急増した『監視カメラ』(全国でおよそ三千万台)で監視され、さらに電話、ファックス、インターネット検索やメール通信や言論、出版は(裁判所の令状無しに)監視・盗聴されています。それは理屈的には『テロリストから国民を守る』と言う立派な大義ですが、現実に行われて居るのは、『愛国者法』を乱用した『国民監視・管理』です。

更に空港ではさらに酷い状況が表に表れる形になっているようです。
テロリストが捕まって空の安全が保障されるのは、もちろん良いことなのですけど、テロリストの疑いがある者、更にはテロリストと同姓同名というだけで、飛行機に搭乗する事が出来ない(なんと中には2歳以下の小児も含まれているそうです)。しかも、このリスト登録者は増加の一方。『「9.11」以前にリストに掲載されていた人数はわずか十六人だった』のに『2006年、には「登場拒否人物」四万四千人と、「搭乗は認めるが、空港で追加のセキュリティ・チェックを要する人物」七万五千人の合計十一万九千人』がリストアップされていると言います。しかも、このリストに一旦掲載されると、『無実が証明』されても、現状、リストからの抹消は行われていないようです。更に恐ろしいのは、連邦政府は『チクリ』を奨励し、昔なら通報者の『個人情報』を確認しなければ(当然ですよね、通報者のクレデイビリティが確保出来ていなければ、嫌がらせ的に、タダ単に『嫌いな奴』でもリストに掲載出来るのですから)リスト・アップされなかったのに、今は『匿名』でのチクリでもリスト・アップされてしまうようです(だから、「あいつ、生意気」とか「あいつ、嫌い」と思った人を嵌めることも可能ですよね。実際、そういう例が多発しているようですが、『根拠無く掲載された』人が、リストから消してもらう事ができないようです)。

わたしたちも、アメリカ旅行していたら、急に『搭乗拒否』或いは、『別の場所へ連れて行かれて拷問』なんて、しゃれにならない事態に巻き込まれるかも知れませんよ。

更に、空港では、『ミリ波スキャナー』で、搭乗者は『丸裸』(実際に映像化されます)にされます。これらの『裸の画像』は即破棄されるのが決まりになっているはずなのですが、人気俳優の『ミリ波裸体画像』とそのコピミリ波スキャナーによる画像
ーが多数出回った事もあるようです。今のアメリカは『全体主義国家』『警察国家』であり、ある日、突然、隣人や友人、家族、そして自分自身が「何の身に覚えも無い」に関わらす、突然姿を消し、外国にアウトソーソング(国内では法的に『拷問』が禁止されていても、海外に身柄を移してしまえば、法の適用外ですからね………こんな所だけ『異常に』クレバーですね)された『拷問』を受ける事になるかも知れない………そんな社会になってしまっているようです。今、弾圧されているのは市民団体、科学者、大学教授、学生、ジャーナリスト、ネットジャーナリスト、教会等などで、その『自由な発言』が『恐怖』によって封鎖されつつあるようです。弾圧されている側も戦い続けているようですが、『権力』、特に『国家権力』の力は強大です。
わたしは、思わずホッブスの『リバイアサン』を思い出してしまいました。まるで、中世暗黒時代にタイムスリップした感があります。

兎に角、『アメリカから〈自由〉が消える』(堤未果著 扶桑社新書)は一読をお勧め致します。

そして、さらに怖いのは、これが欧州を始めとする西側諸国へも波及している事です。
本当に、ジョージ・オーウエルの『1984』の世界です。
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作業終了:『応募原稿』送付完了

例の小説(モドキ?)ですが、ようやく、二回の『推敲』(実質三回)をして、この水曜日に『原稿応募』送付いたしました。
最終的にギリギリ近くの249枚。250枚に収まって良かったです。

なんか、「一仕事終えた」のですけど、どうにもスッキリしないのは、
体調が最悪だからかも。
不眠&吐気と戦いながらの作業でした。
作業するから不眠&吐気が起こるのか。元々『自律神経系』がヤラレテいるから不眠&吐気がするのか?
兎に角、『原稿』が自分の手から離れたのに、不調が続いております。
という事は、作業が原因ではないのでしょうかね。

これから、また元のスタイルのブログになると思いますので、宜しければお付き合いください。

※ でも、こういう軽いスタイルのブログも良いかもですね(書くのも楽チンですし…)^^;

推敲作業継続中………ストレス溜まる

引き続き、小説の推敲作業をしております。
あ~あ、ストレス溜まる!!

推敲して枚数が減ると思っていたら、増えてしまいました^^;
250枚超えです。
しかも、まだ途中。
概ね、応募規定では、
「250枚以内」
てところですから(もっと枚数が多いトコロもありますけどね)
絶対「2回目の推敲」しなくてはならない!!

しかし、今回の「小説」(もどき?)は、「心理描写」とか「風景描写」とか「服装とかのその他細かい描写」を押さえ込んで書いてるのに………。これで、細かい描写なんて入れてたら………。

やっぱり「推敲」は好きになれない。
「完成品」にするには必須の作業だという事はわかるのですけどね。

しかも、体調が思わしく無いのにやっている。
さらに、無理してやっても、初読の2~3行で『没決定!!』
も十二分にある。と言うか200%位あるか………。

にも関わらず、バカみたくやっている。
さすがに250枚になると、推敲作業も半端でなくしんどい。

これを最低、もう一回はヤラなくてはならない。

なんでやってるのか?

自分で「書くと決めたから」
ただそれだけだけど、それだけで十分。
結果は考えない。結果を考えてたらこんな作業は出来ない。

好きな本を読んでる方が余程楽。
でも、そんな「好きな本」たちも、プロがこういう作業をして出来上がっているのですね。
しかも、数千枚なんて作品もありますよね。
プロ作家・著作家さんたちって、改めて『凄い! 尊敬!!』

ただ今『小説』執筆中につき………

この間から『小説』を書いております。
今はこちらの方にエネルギーを取られており、ブログを書いたり、訪問させていただいたりも出来ておりません。
ようやく原稿用紙250枚程度の『第一稿』が書きあがりました。
昨日から、一回目の『推敲作業』に入っております。

かなりの期間『小説』を書いていなかったので、文章力が落ちているのが自分でも自覚されます。
でも、兎に角、仕上げてどこかに応募したいと思っています。
まあ、素人ですから『小説』になっているかどうかも解らないレベルではありますが………。

小説は書くのはそれ程『苦』にはならないのですけど、『推敲』は楽しくないです。
『推敲』が好きな作家さんもいらっしゃるようですけど、あれって『好き』と言うよりも、
「自分の小説の完成度を極限にまで高めて生きたい」
と言う思いなのかも知れませんね。プロの作家さんの中には、原稿を出版社の方に渡す直前まで『推敲』される方もいらっしゃるとか(もっとスゴイ方になると、出版してからも『推敲』されるとか!!)………ホント、『文章の鬼』ですね。

ちなみに、わたしはあまり『小説』を読む方ではなく、どちらかと言えば『ノン・フィクション』を良く読みます。ジャンルは手当たり次第です^^;

小説は、結構海外の文学が好きですね。
中学生の頃から、日本の文学よりは海外の文学の方が好きでしたね。
小中学生の頃は、SFが殆どでした。
アーサー・C・クラーク、スタニスラフ・レム、アイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインライン、レイ・ブラッドベリ、短編の名手フレドリック・ブラウン、古典ではH・G・ウエルズにジュール・ウエルヌ等など。

文学では、ドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフ等のロシア文学も好きです。
で、本当のお気に入りは、J・D・サリンジャーとレイモンド・カーヴァーですかね。

日本文学では、森敦氏、中島敦氏がスゴイと思いましたね。
わたしもご多分に漏れず、太宰治に嵌ってしまった時期がありました。
北杜夫氏、遠藤周作氏の作品も良く読ませて頂きました。

おじさんになってから、司馬遼太郎氏に嵌り(?)まして、殆どの司馬作品は読んだのではないかと思います。

しかし、なんと言っても好きな日本の作家は、W村上ですね。

最初、村上龍氏に嵌りまして、これまた村上龍作品は殆ど読んでいると思います。
彼は、天才タイプの作家さんですね。
ただ、最近は小説らしい小説を書かれていませんね。是非、『書いて欲しい』作家さんです。

ところで、村上春樹氏ですが、『ノルウエーの森』の頃までは、わたし的にはスゴイ作家さんではなかったです。
でも、初期の頃から女性に人気があるそうですね。
わたしが注目しはじめたのは『海辺のカフカ』からです。ですから結構近年ですよね。春樹氏は『海辺のカフカ』で飛躍的に文章が上手くなったと感じさせてくれました。
この頃からですかね、安部公房氏が亡くなった後の、日本人で『ノーベル文学賞』に最も近いと言われ始めたのは。
そして『1Q84』Book1~3ですね。これでさらに春樹氏は文章力を磨かれ、安定しましたね。

村上春樹氏は、秀才タイプのような気がしています。しかしスゴイ『ポテンシャル』を持った作家さんです。
そして、今は春樹氏が龍氏を抜いたと感じております。

また村上龍氏にも本格小説を期待したいです。
村上春樹氏は、さらに飛躍されるのか、どこまで飛躍されるのか、と言う楽しみを持たせてくれます。

国家についての小論考 PartⅡ

「今の社会、どこかオカシイ」

と言う、素朴な疑問が私的にあります。

それと同時に、

「この国は、このままだとどんどん地盤沈下を起して(この間、GDP世界2位から中国に抜かれて3位になりましたよね)、やがて“経済大国”という“過去の栄光”と言う思い出にふける、アジアの中の一つの国という立場に埋没してしまうのではないか」

と言う、危惧を感じざるを得ません(“経済大国”ではなくなるという事は、単に“貧しくなる”と言うに止まらず、“国際的な地位”が落ちる事でもあり、【国際競争力】【国際発言力】などの世界における“影響力”が低下することでもあり、ただでさえ『外交下手』の我が国がさらに国際社会において、存在感の無い国になる事を意味し、『軍事力』を実質行使出来ない我が国にとっては、致命的な状況を意味すると考えています)。
それを感じるのは、

① この国のモラルが甚だしく低下している。
② 論理的(解り易く言えば『単純に考えても、この国の国民一人一人にとって有益と考えられる』と言う意味です)な“政策”が行われて居ない(むしろ、それらを“厭う”『政・官・財』の“宿痾”とも表現すべき、『既得権益への固執』が、それらを表裏両面から邪魔しているとしか思えない)。
③ 余りにも機能していない“政治”“行政”。

 これらの3項目は、お互いに“補完”関係にあって、この国の“腐敗”状態を産み出している“源泉”であると思います。現在の日本の状況は、幕末の状況に非常に似ているように感じます。ただ、ここには『改革派たる勢力と、中心になる“王”が存在していない』。幕末期の動き、そして『維新』を全て肯定する気にはなりませんが、少なくとも、かなりの数の『不惜身命』の人々が、“命”を張って働いていた事は事実としてある訳で、中途半端な気持ちで【この国】を担い、考え、行動していた訳ではないでしょう。今は、犯罪を犯しても、なかなか“死刑”にはなりませんからね。むしろ国際的に見れば、この国の量刑は非常に軽いと言えると思います。特に、「公的立場」の人間が、犯罪を犯しても、事が大きければ大きい程、【組織】として“隠ぺい”しますし、また、『守秘義務』と言う事で、国民に知らされないシステムになっていると思います。この『守秘義務』も、非常に“あいまい”で、どこまでが『本来の守秘義務』に当たるのか非常に解りにくい。ですから、“まずい立場”にある公人は、なんでもかんでも『守秘義務』に当たると言ってしまえば、対外的に“漏れる”事は殆ど無い。もしも漏らす者が居れば『守秘義務違反』と言う(屁)理屈でも付けて、【処罰】【飼い殺し】【退職】等の“処置”をすれば良い訳ですね。

 さて、これらの『お話』をするときりがありませんから、今回は、今日、わたしが読んだ新聞報道(Net版)から考えてみたいと思います。

『もの言えば…月内退職迫られる 政府批判論文の経産官僚』

政府の公務員改革が不十分だと雑誌などで批判を続ける経済産業省のキャリア官僚が、今月末までに退職を求められていたことが、関係者の話で分かった。この官僚は7月に民間企業への出向打診を断った際、拒否しても省内に残せないと当時の事務次官から告げられていた。この官僚に対する処遇の影響で、同省幹部は「省内が自由にものを言えないムードになっている」と話している。

 この官僚は、経産省大臣官房付の古賀茂明氏(55)。同省や企業の関係者らによると、古賀氏は今年7月、当時の望月晴文・経済産業事務次官から大手企業に出向するよう打診された。古賀氏がこの打診を断ったところ、次の人事異動で新たなポストが用意されていないと告げられた。古賀氏の退職期限は10月末とされ、独自に再就職活動をしているという。

 古賀氏は「改革派官僚」として知られ、雑誌で政府の公務員改革が不十分だと批判してきた。先月27日発売の経済誌でも、「国民の期待を裏切る天下り規制の骨抜き」と題した実名の論文を掲載。論文は、「民主党が強く主張してきた政治主導と脱官僚は、まったくの看板倒れとなるおそれが出てきた」「民主党がマニフェストで主張した天下り根絶の原点に戻って出直してほしい」など、政府を厳しく批判し、注文をつける内容となっていた。

 この経済誌の発売直後、古賀氏が、大臣官房から約2週間の予定で北海道や九州への国内出張を命じられたことで、経産省内で「論文掲載の影響があるのではないか」との見方が出ている。出張理由は「地方の経済状況についての調査」とされるが、ある経産省関係者は「東京から離してメディアからの取材を受けにくくしようとする狙いを感じる」と話す。

また、経産省中堅幹部は、古賀氏の処遇について、「『文句を言うなら辞めてから言え』というのが大臣官房の考えなのだろう。ちょっとやり過ぎではないか」と批判。経産省OBも「実名で政府を批判するという身内の勇気ある行動を、経産省は真摯(しんし)に受け止めていない」と述べた。

 経産省大臣官房秘書課は朝日新聞の取材に対し、「(古賀氏が)地方に調査に出ていることは事実だが、論文の掲載とは関係ない」とし、古賀氏に退職を求めたかどうかについては「個別の人事についてお答えできない」としている。古賀氏は、再就職活動をしていることだけは認めた。(野口陽)

(朝日新聞電子版 参照)
(http://www.asahi.com/national/update/1009/TKY201010090223.html)

 こう言う『骨のある官僚』も居るのですね。しかし、この古賀氏と言い、高橋洋一氏と言い、『公務員村』から見れば「裏切り者」ですね。こういう場合、国から都道府県、市町村まで、対応は基本的には【追放処分】ですね。彼らこそ、本当は『この国の宝』だと思いますよ。もちろん、かれらも神さま(全てを見通せる訳ではない)ではないですから、間違った事を言う場合もあると思います。でも、そうであれば、本来なら【処分】ではなくて『議論』ですよね。かれらは、当然、議論には応じますよ。但し『議論』になればでしょうけどね。概ね【権力側】は『議論』は好まないようです。なぜでしょうかね~ 
『議論』に応じないという事は、「議論すれば負ける」事が解っているからでしょうね。それでも「議論すれば負ける」政策をしたい。何故、“理屈”が通らない“政策”を実施したいのか。そこには【権益】【保身】、その他『知られたくない事』があるからでしょうね。

 日本は、「法治国家だ」なんて言っていますけど、実際はどうなのでしょうか?
『法の精神』と言うか『法』の成り立ちから言えば、本来は『権力のクビキ』として成立してきたモノです。“権力”は“リヴァイアサン”(化け物)ですから、これが秩序無く暴走すると、『罪なき者に罪を負いかぶせて抹殺』が起きてしまう(そういう封建時代の民衆の怒りと目覚めが『法』を創ってきたのです)。そういう事が起こらないように、『法』が有り、本来『法』を守るべきなのは『国家』、『権力』です。『国家』は『法』に則って行動し、民が犯罪を犯した場合でも『国家』が、『法』に則り“処罰”“処分”を行う(この辺りの事については小室直樹先生の著作を参考にして下さい)。

 しかし、現実の“役人のメンタリティ”は異常と思われます。本来『法に則って行動』しなければならない『公人』が、

「自分達(だけ)は、治外法権の場に居る」

と思っている節が濃厚にあります。英語で言えば“Out of low”ですね。“アウトロー”。要は【悪人】【犯罪者】の類です。誰に対する犯罪か? もちろん“国民”に対する犯罪です。

ところで、先程の記事に戻りますけど、実は、この記事が出るまで、古賀氏という官僚の事は知りませんでした。ですから、彼の『主張してきた事』も良く知りませんでしたし、今も良く知りません。

この記事で伝わって来るのは、「古賀氏という骨のある官僚が居て、『政府の公務員改革が不十分だと雑誌などで批判を続け』ていたところ、『事務次官から大手企業に出向するよう』(つまりは【公務員村】から出て行けって事ですね)告げられ、それを断ったところ、『拒否しても省内に残せない』(つまりは『クビ』って事ですね)と告げられた(宣告された)。
そして、『この官僚に対する処遇の影響で、同省幹部は「省内が自由にものを言えないムードになっている」と話している』という状況がうまれている。つまり、古賀氏に対する措置は【見せしめ】或いは【スケープ・ゴート】ですね。これは『役所』の常套手段です。わたしなんかは、もしも古賀氏の主張が『正しい』(正しいという判断は、実は非常に難しいです)、或いは、少なくとも古賀氏の言っている事の方が『道理が通っている』と感じるのであれば、彼に“同調”する“勢力”が出てきて、省内の意見のバランスが取れれば、良い議論が出来て、『本当に国民のためになる行政が行えるのではないか?』とか、思ってしまいますけど、現実は、“コウ”ですね。皆逃げちゃう。兎に角、関わると“損”。もう、小中学生の『イジメ』の構造と同じレベルですね。これで“日本国家のエリート”を自認しているのですからね。

「貴方、なんのために公務員になったの?」

って言いたくなります。そのくせ“プライド”だけは超一流ですね。

「その“プライド”をココで見せてよ!」

とも言いたいですね。【保身】や【お金】のために“公務員”になるのは“邪道”ですよね。

「それなら民間企業へ行って、心行くまでヤッて下さい」

と言うのが、わたしの意見です。官僚のメンタリティーも【変】ですね。『天下り』『渡り』で、退職後、数億円の収入があるそうですけど、それだけの仕事やってますか? って聞きたいですね。誰かが、官僚のメンタリティーについて書くか言うかしていましたけど、

「もしも、自分が民間企業に行っていれば、当然トップになって居るので、これ位の役職と、収入は当然」

だと考えて居るそうです。であるなら、わたしとしては、余計にそういう方には民間企業に行って欲しいですね。官僚がもしも民間企業に行っていれば全員がトップになれる…そんな訳ないですよね。

 最後に、古賀氏の考えの一端を知るために記事を探していましたら、次のようなのが見つかりました。(WEBRONZA の記事です)この記事は途中までで先を読むには登録が必要です(登録は無料ですが、購読は有料かもデス)。

霞が関の現役官僚が語る「公務員制度改革は、こうあるべきだ!

古賀茂明(前国家公務員制度改革推進本部事務局審議官)/聞き手:一色清
2010年09月02日

挫折したかに見える民主党政権の公務員制度改革。霞が関きっての「改革派官僚」で、国家公務員制度改革推進本部事務局などで関連法改正などを進めてきた古賀茂明氏が語る、民主党政権による「改革」の限界と、大胆で有効な公務員制度改革の道筋とは――。

 ■古賀茂明(こが・しげあき) 1955年生まれ。80年、東大法学部卒業。同年、通産省(現・経産省)に入省。2003年、産業再生機構執行役員。経産省の経済産業政策局経済産業政策課長などを経て、08~09年に国家公務員制度改革推進本部事務局の審議官を務めた。

 ――現在、古賀さんは経済産業省の大臣官房付という役職にいますが、その経緯からお話ください。

大変申し訳ありませんが、具体的な人事の経緯は「対外秘」ですので、お話しすることはできません。言えることは、昨年12月17日まで国家公務員制度改革推進本部の審議官をしていましたが、仙谷(由人)担当大臣の方針で幹部入れ替えがあったため、経産省に戻され、そのまま今日に至ったということだけです。また、今日お話しするのは、私の個人的な考えで、経産省や政府の立場とは関わりがないということも、あらかじめ申し上げさせていただきます

――「報復人事」などと一部では言われていますから、大変難しい立場におられるんだなということがひしひしと伝わってきますね。我々の取材では、大臣官房付にもいろいろな場合がありますが、古賀さんのようなケースは、イレギュラーな時期にポストを外れたための「待命ポスト」ということですよね。年明け1月頃、あるいは遅くとも春には新しいポストに移るのが普通ですが、結局、4月も7月も何もなかった。その間、天下りを提示されたが、これを拒んだとも伝えられていますが、真相はどういうことなんでしょうか。

 まず、私のケースについてということではないですが、天下りについて、今何が起きているか説明しましょう。民主党政権は「天下り根絶」を掲げていましたが、独立行政法人などへの現役出向や民間企業への派遣は厳密な意味では天下りではないからということで、これを積極的に進めようとしています。これは参議院選挙などに国民の関心が集中していた時に打ち出されたのであまり知られていませんが、かなり大胆な方針変更です。また、霞が関を辞めてOBの斡旋で民間に移る場合、「役所が斡旋しなければ天下りには当たらない」とされていて、同僚や先輩・後輩たちの多くもそうした人事に従っています。

 しかし、出身官庁に戻ることが前提の現役出向であっても、ポスト維持のために無駄な仕事を増やしたり、民間との間で不透明な癒着が生じるという点では天下りと同じです。特に今回進められている現役出向や民間派遣の拡大は、政権の意図とは違って、官僚側は、「天下り禁止で上が詰まってしまったので、その手前で外に避難場所を民間企業などのコスト負担で作り、ポスト不足を解消しよう」という目的で実施しようとしていますから、今までの天下りと同じ弊害が出る危険性は高いと言わざるをえません。私は、もちろんこの制度の拡大には前から強く反対していました。

 もちろん、人事権者の発令で一方的にそういうことが行われる場合は私も従わざるをえませんが、例えば、現役出向の場合は、形式的に一度退職して公務員の身分を失うかたちになります。その際、クビになるのではなくて、自発的に辞職願を出す。本人が国家公務員じゃなくていいと言っているから独法に、という形にするのです。同じように、民間企業への派遣時にも、本人同意の手続きが必要です。つまり、そこに行くかいかないか、自由意志の選択を迫られるわけです。私はもともと「現役出向は形を変えた天下りだ」として反対の立場をとっています。ですから、仮にそういうオファーがあったとしたら、それは踏み絵を迫られるようなものですよね。(以下略)

(WEBRONZA 参)
(http://astand.asahi.com/magazine/wrspecial/2010083100027.html)

 しかし、上記程度の主張は、他の識者の方々も言われておりますし、それ程『過激』なモノではないような気がしますが、役所とすれば、内部からこのような意見が出てくる事は『非常な脅威』なのでしょうね。『役人の既得権益構造』を破壊するモノですからね。興味のある方は、一読してみて下さい。
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現代の閉塞感のある世界がもう少しだけ住みやすくなれば良いなぁ、などと考えております。今の状況の延長線を自分たちの子供たちや孫たちへバトンを渡すのは余りにも無責任だと思っています。大学は工学系卒。国立K大学の経済学研究科大学院修士。博士課程考慮中…。この国の未来への良きシナリオを描きたいと思いトボトボと歩いてるって感じです。ただ最近は、当方の怠慢のせいでtwitterまとめ、或いは「忘備録」化してます…。しかし、同志さんたち大歓迎です。

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