突然の義父の死去

今回は、私事です。

去る、九月の二十五日(金)曜日深夜、もう日が変わろうと言う時間に、突然、義父が亡くなりました。二〇日程前に倒れたのですけど、その時は『脳内出血』と『脳梗塞』でしたが、「命に別状は無い」と聞かされていました。それで、次に入る“病院”(病院は一月くらいしか置いてくれない)と、その次に、お世話になる『特養』を探していました。そして、次の『病院』が見つかった矢先の事です。

「義父、危篤」の連絡が入って、直ぐに飛んでかけつかましたが、もう亡くなっていました。わずか三〇分程で逝ってしまったようです。“脳幹出血”が死因という事になっていました(そしてその原因は『不明』)。

まあ、考えようによれば、『苦しむ時間が短かった』事が、せめてもの慰めと言えば慰めです。本当は「もう少し長く、生きていて欲しかった」ですけど、これは、わたしの我が侭ですね。

生きている時は、男同士って、あまり深く話さないと思うのですけど、うちもそんな感じでした。昔の話とか話したり、元気な時は、家族で“温泉”へ行ったり、食事へ行ったりしていました(特に結婚したばかりの頃は、有名な会席料理のお店に良く連れて行って貰いました)けど、それも、まず、義父の一番の“目的”は“孫”でしたからね。

うちの子供たちは、本当にお世話になりました。産まれてから嫁が赤子を連れて実家に帰ったときは、孫は義父にお風呂に入れて貰っていました。義父は可愛かったのでしょうね、本当は大変な作業なんですけど、喜んでやられていました。

うちの義理の両親には男の子が居なくて、女の子二人。うちの嫁は長女。次女一家は子供が小さい時に義弟の会社の関係で『アメリカ住まい』に。両方とも、長女と長男(女一人、男一人)の子供(義父から言えば“孫”)が居ます。

義弟夫妻の子供達、特に下の男の子は、もう完全に“アメリカ人”ですね、日本語の方が不自由のようです。娘さんは『バイリンガル』です……羨ましいです。

まあ、そんな感じで、義父は“男の子の孫”が特に可愛かったようです。そして、うちの方が『家が近い事』もあって、特にうちの下の男の子が可愛かったようです。

今回、初めて“親”と名付く人を送ったのですけど、本当に色々とあるものだなぁ、って感じました。

本当にあれってスゴイですね。

亡くなった途端に、病室から“霊安室”へ。なんかイメージが違ってましたね。ただの小さな部屋でした。そこで葬儀社の方が来るのを待って、亡父をとりあえず両親の自宅へ。それから葬儀社の方との打ち合わせが始まって、概ねの打ち合わせが終ったのが午前四時頃。それからお坊さんを待って『枕経』をあげてもらいました。チベットなんかでは人が亡くなると“バルド・ソドル”と言うお経を、亡くなったばかりの人にあげるのは知っていましたけど、チベットの場合は『死後のマニュアル』なんですけどね。日本にも似たようなお経があるのを始めて知りました(宗派によって様々だそうですけどね)。この時にお坊さんに『お葬式』に呼ぶ坊さんの数を決めます。うちは、一応、お二人にお願いしましたが、すごい金額ですね。もうこの頃になると『金銭感覚』がマヒしてきています。兎に角、祭壇費用(多分何回も使うのでしょうから、数日のレンタル料ですね。これで、車一台買える金額ですからね)。飾りつけの費用、集まってくれた方、お世話してくれた方へのお礼の『弁当』とか、満中蔭志の即日返し……それに「概ねの人数」とか聞かれるのですけど、もうその時になって見なければ解らないと言うのが本当で、もう完全にアバウトですね。急でも用意出来るものもあれば、急には無理のものもあって、急には無理なものは余分目に頼まなくてはなりません。

それから、連絡とかして、義父の場合は、妹一家を待つのに、お通夜を一日ずらす事になりました(それでも、お通夜には間に合わないだろうという事で、お通夜式が済んでからの到着になることが解りました。それまで、ウチがどんどん進行していかなければなりませんでした。時間はどんどん流れて行きますからね)。

この辺りから、今日が何日の何曜日の何時なのか、良く解らないような状態になってしまいました。

多分、次の日、日曜日に『式場』へと遺体を移し、『納棺式』をしました。『お通夜式』は夜の七時半からだったのですけど、もう朝の九時には『納棺式』を。『納棺式』は死化粧をして頂いて、本当に“安らかな”“生きている時のような”お顔にして頂きました。『納棺』は親族の男性だけがお手伝い出来るという事で、うちの下の男の子とわたしが、手伝わせて頂きました。

それから、ばらばらと親戚の人たちが(わたしは殆ど初対面)集まってこられたり、しまして、そこで少し時間がありましたので、休息を。五時からまた『式の打ち合わせ』などがあって、うちの嫁がメインでやっておりました。もうこの辺りで、わたしはヘロヘロでしたけど、義母は空き時間に「美容院」へ行っていました。女性は強いな~ と言うか凄いな~ と感心してしまいました。

それから、『お通夜式』ですが、結構田舎の方なのか、すごく丁寧に式が進行されます。義母は“喪主”ですが、高齢と少し身体が悪いので、嫁とわたしが、受付のお世話をしていただける事になった『隣保』の方々へのお礼の挨拶。それから“来賓のお迎え”をしました。来られる方、来られる方に頭を下げ御挨拶を、また言葉をかけて頂ける方にはその応対を。ここまで丁寧な式は、わたしは始めてでした。『お通夜式』三〇分前から、頭の下げ通しでした。なんか米搗きバッタにでもなった感じでした。

それでようやく『お通夜式』。式でもまた焼香の後、並んで“頭を下げての焼香お礼”。それから、今度は式が終ってから、お見送りの挨拶で、また嫁と並んで米搗きバッタ状態に。

これがまだ、前段で、今からが本番。そう思うと、『人が一人亡くなるって、凄い事だなぁ』って感じましたね。特に、わたしは『体調不良』なので、かなりキツイと言うのが実際の所でした。でも、色々と知らなかった事が多く、良いお勉強をさせて頂きました。

親戚や、義父の知り合いの方ともお会いして、改めて『義父の大きさ』を実感させられました。

翌日の月曜日、十二時三〇分からが『お葬式』で、これは『お通夜式』を寧にした感じでした。

『お通夜式』『お葬式』とも、大勢の方が見えられて、わたしの知っている範囲でも、本当に立派なお葬式でした。“式”って、その人の“人格”が現れると思っていますので。ここでも『義父の大きさ』を感じてしまいました。

そして、『出棺』で、義父の棺を、専用の車両に収め、斎場で灰になった義父は、小さな“お骨箱”に収められて、式場へと戻って来、そのまま『初七日法会』まで済ませました。ここまで丸三日以上の時間が経過していますけど、もう疲れで訳が解らなくなっていました。

そうして、ようやく“お骨”が家へ帰ってきました。それと平行して、祭壇を家の方で用意しておき、そこに安置しました。これから四十九日まで、灯篭、蝋燭、線香、巻き線香を絶やさないようにしますけど、最近は“火災”についての注意を何度も、お坊さんからも、式場の方からもされ、
「もし、不在の時は消して下さい」
と何度も注意されました。

この間に、何度も悲しみが込み上げて来て仕方がありませんでしたが、お釈迦様が仰るように『不変なモノは何も無い』(所業無情)という“自然の法則”なんだと、自分に言い聞かせておりました。なんと女々しい男だと、自分でも思いましたが、自然な感情ではあるよな、とも思いました。

喪って、初めて解る『義父の大きさ』でした。

わたしもオジサンなので、年齢のせいか、この木曜日あたりから『すごい疲労感』が出てきています。元の体調に戻るのに、少し、時間が必要なようです。心も身体も。
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現代の閉塞感のある世界がもう少しだけ住みやすくなれば良いなぁ、などと考えております。今の状況の延長線を自分たちの子供たちや孫たちへバトンを渡すのは余りにも無責任だと思っています。大学は工学系卒。国立K大学の経済学研究科大学院修士。博士課程考慮中…。この国の未来への良きシナリオを描きたいと思いトボトボと歩いてるって感じです。ただ最近は、当方の怠慢のせいでtwitterまとめ、或いは「忘備録」化してます…。しかし、同志さんたち大歓迎です。

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